平安時代の女流文学者ゆかりの地を訪ねて。
京都の文学探訪、二つ目は和泉式部ゆかりのお寺を紹介しましょう。入り口に、オブジェのようなものがあるお寺・誠心院。今回は、誠心院にまつわる歴史について紹介します。
1.誠心院のあるあたり・新京極
誠心院は京都の真ん中、新京極にあるお寺。ドラッグストアがあったり、古着屋があったりと雑然としているともいえる新京極の中、ひっそりと佇んでいます。
新京極のあたりは、結構お寺が多い地域。新京極のさらに東側には、京都の人が「裏寺」と呼ぶ「裏寺町通」があります。この通りは500m程度の短い通りなのですが、そこにはなんと14軒のお寺が集まっているのです。しかも平安時代中期ごろから末期にかけて建てられたお寺が多いのが特徴。
京都の風情を感じられる穴場スポットなので、レンタル着物でお散歩の際には歩いてみてもいいかもしれません。ただ、京都は全体的に南に向かってゆる~く下り坂の地形です。京都駅と北山駅の間の高低差はちょうど京都タワーくらい。そのため、南下する際は歩くのが楽なのですが、北上するのはちょっぴりしんどい。
あれ、歩くの遅くなってるかな? と思っても別に心霊現象ではないので安心してくださいね。
2.和泉式部について
誠心院の初代住職は和泉式部。和泉式部は天皇家の男性に見初められ続けた恋多き女性です。同時に才女で、和歌に長けており文才もあった上、字も上手というすごい女性なんです。おそらく百人一首でその名前を知った、という人もいるでしょう。和歌の才のため、和泉式部はいつしか賢い女性としても憧れられるようになりました。今も和泉式部のような女性になりたいと憧れ、ゆかりの地を旅する女性が多いというほど。
また結構気位が高いことでも有名。そのエピソードが、祇園祭と関係あることもご存知でしょうか。京都を代表するお祭り、祇園祭では鉾と呼ばれる大きな山車以外にも山と呼ばれる小さな山車も繰り出されます。その中で「保昌山」と呼ばれる山があるのですがこれが和泉式部の恋のエピソードが絡んだ山です。
和泉式部に求婚してきた藤原保昌という男性に、和泉式部はなんと御所の中でも最もセキュリティが厳しい梅園から、梅の枝を1本折り取ってきてほしいと頼みます。もし折り取ってくることができたなら、結婚するという条件をつけて。保昌も一瞬尻込みするのですが、やっぱり当時のモテ女性和泉式部とどうしても結婚したかったのか、宮廷の兵士に矢を射られかけながら花を盗んでくるのです。
その様子が保昌山として人形で再現されています。蓬莱の玉の枝を要求したかぐや姫や、100回通ってくることを要求した小野小町レベルの逸話ですよね。
3.和泉式部と誠心院の由来
そんな和泉式部ですが、晩年は子どもに先立たれ、供養と極楽往生を願う日々を送ったそうです。その場所がまさに誠心院。上記の写真の、マニ車のようなものは梵字のお経。鈴成り輪(すずなりぐるま)といいます。これ、実は和泉式部の古い灯籠と竿を使って作ったものだとか。1回回せば1度お経を読んだ事になるありがたいものです。また、誠心院には式部観音といわれる和泉式部の像が残っています。
このように和泉式部にゆかりある誠心院は、芸能上達や才色兼備を願う人が立ち寄ります。京都旅の際には有名どころもいいけど行き飽きてしまった……という人に特におすすめ。もちろん参拝のマナーは守りながら、ひっそりとした街角で京都の風情を感じるのもオツな京都の楽しみ方です。
いかがでしたでしょうか。京都では100年商売をやってやっと鼻たれ坊主、という言葉があります。その理由のひとつに歴史の深さがあるといえるでしょう。何度焼けてしまっても、京都は残り続け、遺跡やお寺も形は変われど残っています。だからこそ古の文学作品の場所が今も残り続けているのではないでしょうか。京都の文学探訪は、そのまま京都の歴史や文化も知ることができるのです。