京都には様々な美味しい食べ物がありますが、その中でも近世に京都で成立した京都式のお菓子「京菓子」が有名です。
京菓子は季節を感じながらお抹茶と共に味わう、「見て楽しむ」「食べて楽しむ」という方法が普及していますが、そもそも京菓子とはどういったものなのでしょうか? それにまつわる歴史も気になりますよね。
そこで今回は京菓子の特徴や歴史、デザインなどについて詳しくご紹介させて頂きます。
目次
■京都の京菓子とは?
■京菓子の歴史!ルーツは果物?
■季節と行事の京菓子はどんなもの?
■まとめ
■京都の京菓子とは?
京都のお菓子「京菓子」とは一体何なのでしょうか。
京菓子は、近世に京都で出来た京都式のお菓子のことで京都で修行をした職人が京都で作った和菓子のことです。
京菓子は京都では「上菓子」と呼ばれます。
これは宮中や公家などに献上されるお菓子を
・献上菓子
・上菓子
などと言い、庶民が食べるお菓子と区別するためでした。
そして茶道と関わりを持ったことから、色や形にこだわった季節を感じられるお菓子として発展するようになりました。
京菓子は上流階級の人たちしか食べることができませんでしたが、明治時代に入って砂糖の輸入が増えてからは町衆でも食べられるように。
そのために様々なニーズに応えるべく、婚礼儀式菓子や茶席菓子のみならず餅菓子などの気軽に食べられるものも数多く広まっていきました。
京都人の美意識が京菓子に宿り、心遣いやおもてなし精神として現在も残っていった訳ですね。
■京菓子の歴史!ルーツは果物?
日本のお菓子は本来「果子」と言われており、木の実や果物でできていました。
その後に中国の遣唐使がもたらした唐菓子や室町時代にキリスト教宣教師によりポルトガルから伝来した南蛮菓子、茶道文化発展期の羊羹や饅頭などの影響を受け、また時代ごとに様々な素材や技法を取り入れていくことで、京菓子へと発展していきました。
京都は新鮮な地下水にも恵まれていたことから、質の良い原材料と組み合わせる菓子作りには最適な環境でした。
江戸時代元禄期までは上層階級のみの格好品でしたが江戸時代には庶民も食べられるようになり、より上菓子も多様なものに変わっていきます。
そして外国文化の影響も受けながら、京菓子は季節や行事によって食べられる美しく芸術性のあるものへと変遷を遂げていったのです。
味覚、触覚、嗅覚、視覚、聴覚など、菓子から五感を楽しませるものとして現在の京菓子が大成しました。
■季節と行事の京菓子はどんなもの?
世界でも京菓子は芸術的な食べ物として有名ですが、季節と行事の京菓子はどういったものがあるのでしょうか。
○亥の子餅
旧暦の亥の月、最初の亥の刻にイノシシの子の形をした亥の子餅を食べます。
食べると万病を除け長寿を保つことができ、子沢山のイノシシにちなんで子孫繁栄も祈願しています。
○嘉祥菓子
承和15年(848年)に疫病が流行した際に仁明天皇が元号を嘉祥に改め、6月16日に16種類の菓子を神前に備えて疫病除けを祈ったことがきっかけ。
現在も1と6を足した7種類のお菓子を食べる事で除災招福を祈るものとされています。
○かしわ餅
京都では白味噌餡などを入れた餅を柏の葉で包んだもの。
包む姿が拍手を打つ姿に似ていることから武運を祈願する端午の節句にふさわしいとされてます。
○きつね面
白狐のお面に見立てたお菓子で、2月初午の日の初午大祭に合わせて販売されます。
○行者餅
京都に疫病が流行したときに役行者山(えんのぎょうじゃやま)に供えて祈願されたことを起源とするこちらは、現在でも無病息災を願うお菓子として知られています。
クレープのような生地に求肥と山椒味噌が包まれた、唯一無二のお菓子です。
○桜餅
道明寺粉などを使った餅菓子にこし餡を包み、塩漬けにした桜の葉で挟んだもの。
京都・嵐山は桜餅を最初に作ったお店がある場所とされ、嵐山の名物として愛されています。
■まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は京菓子の歴史やルーツなどについてご紹介させて頂きました。
見ても食べても楽しむことができる京菓子。
是非、京都に足を運んだ際にはその季節ならではのお菓子を食べてみてくださいね。