京都の地元民がこっそり伝授! 混雑なく巡れる穴場神社仏閣5選

KYOTREAT編集部

京都を観光に訪れる際に見逃せないのが何といっても神社仏閣。
しかし何度か京都に来ている方は、有名なお寺や神社は人が多いので参拝を敬遠してしまう事もあるのではないでしょうか。
けれどせっかく来たからには京都らしさを、しかもゆったりと感じたいですよね。
そこで今回は京都の地元民だからこそ知る、穴場的神社仏閣をこっそりお教えします!
何度も来ているアナタにこそ行って欲しいので、ぜひ最後まで読んでみてくださいね♪

目次

■勝念寺

■等持院

■新熊野神社

■御香宮神社

■智恵光院

■まとめ

■勝念寺

写真 https://kamasikisan.blogspot.com/2022/09/blog-post_15.html

皆さんは京都市伏見区にある「勝念寺(しょうねんじ)」をご存知でしょうか。
ここは1587年に貞安上人によって建てられ、山門が開いているときのみ参拝できる寺院です。

そんな特別な勝念寺は、一体どういった寺院で何が見どころなのでしょうか。

■勝念寺とは?歴史についても

京阪電車「丹波橋駅」から徒歩5分位の場所に位置する「勝念寺(しょうねんじ)」。
天正15年(1587年)に織田信長が深く帰依した貞安上人によって創建された浄土宗の寺院です。

本能寺の変により織田信長は本能寺で、そして嫡男信忠は御池御所にて自刃しました。
そして貞安上人は正親町天皇の勅命によって信長と信忠父子の菩提を弔うこととなり、御池御所を賜って大雲院として開創。
これを安養山勝念寺と呼びました。

■勝念寺の見どころ

勝念寺はいつでも拝観できるというわけではなく、参拝できるのは山門が開いている時間帯のみで、境内及び地蔵堂は無料で入ることができます。
では、勝念寺の見どころはどのような場所なのでしょうか。
見どころをまとめます。

○小さなお地蔵さんたち

山門を入ってすぐに、小さなお地蔵さんたちがいます。萩の花で少し隠れた姿など、見ていると癒やされるでしょう。

○かましきさん

勝念寺を知っている方は一度は「かましきさん」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。
かましきさんは「身代釜敷地蔵尊」と言い、貞安上人は織田信長より釜敷地蔵尊を賜ったそうで、地獄で釜茹での責めに苦しんだ亡者の代わりに自ら煮えたぎった釜に入って苦しみを受けるとする身代わりの地蔵尊のことです。
これにより地獄とこの世で苦しむ人の苦を取り除いて幸せへ導こうという身代地蔵尊なのです。
これが「かましきさん」として江戸時代より深く信仰されています。
境内に入ってすぐ右手に身代釜敷地蔵尊と書かれた幟の奥に地蔵堂がありますので是非祀られているところを参拝してみてください。

○萩の花

写真 https://kamasikisan.blogspot.com/2022/09/blog-post_15.html

勝念寺は地元では「萩の寺」という名前でも親しまれています。
境内には二十数種、約100株程度の萩の花が植えられており晩夏から秋にかけて境内は萩の花で美しく彩られます。
山門前から勝念寺を覗き込むと、境内一面に降るように咲く萩の花。
お地蔵さんの周りも彼岸花や萩の花で埋め尽くされており、敷石に覆いかぶさる花もなんとも美しいです。
また萩の花やススキ、彼岸花、芙蓉など多くの花々を見ることができるでしょう。

○多羅観音

織田信長から賜ったと言われる多羅観音。
多羅観音は観音の涙より生まれて、女性の身で成仏すると誓ったと言われる女性尊でチベット仏教の仏像です。

○閻魔法王自作霊像

身丈一寸八分と、わずか5.5cmの小さな像。
平清盛の頃に閻魔が慈心坊尊恵に自刻して授けたもので、穏やかな慈悲の顔をしているのが特徴です。

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施設名:勝念寺
住所:京都府京都市伏見区石屋町521
アクセス:京阪本線「丹波橋駅」下車、徒歩3分程度

HP:http://kamasikisan.wix.com/syonenji

■等持院

写真 https://jpmanual.com/tojiin

京都市北区等持院北町にある「等持院」。
臨済宗天龍寺派の寺院で1341年に足利尊氏により建てられ、彼の墓所としても有名な場所です。

小さな寺院でひっそりとした雰囲気ではあるものの、達磨大師の大きな達磨図や日本庭園など一度は見たいところが満載です。

■等持院とは?

等持院は山号が萬年山で、本尊が釈迦牟尼仏です。

京都市北区にあり、1341年に足利尊氏によって建てられました。
足利尊氏は1305年に誕生し、鎌倉時代から南北朝時代に活躍した武将。京都の室町時代を興し、初代征夷大将軍として名を残しました。

その足利尊氏の先祖代々のお墓である菩提寺としても等持院は知られています。

■等持院の名前の由来

足利尊氏が1341年(暦応4年)に天龍寺の夢窓国師を開山として創建。
元々は室町幕府を開いたときに居住跡に建てた「等持寺」の別院で、押小路高倉あたりにあった等持寺が「南寺」で等持院が「北寺」と呼ばれていました。

そして、1358年に足利尊氏の死後、法名に由来して等持院と呼ばれるように。

1467年に発生した応仁の乱によって荒廃し、本寺の等持寺を等持院と合併して復興。
そこからも火災や戦火で被害が大きかったですが、現在も再建され受け継がれています。

■等持院の歴史

暦応4年に室町幕府の初代征夷大将軍である足利尊氏の命令により開山されたことが京都・等持院の始まり。
応仁の乱などによって焼失したお堂もありますが、豊臣秀吉の息子・秀頼に修復させるなど、歴史が続いています。

日本初の映画監督である牧野省三(まきのしょうぞう)により大正時代には多くの作品が撮影され、彼の銅像も建てられました。現在は足利家の菩提を弔っており、京都でも重要なお寺として親しまれています。

■等持院の見どころ

等持院の見どころは以下となっています。足を運んだ際には是非ご覧ください。

○方丈

1616年(元和2年)に福島正則が妙心寺の海福院に建てたものが移築されています。
歴史を感じられる建物で、目の前の庭園は四季折々の風情を楽しむことができます。
こちらは襖絵も見どころで、安土桃山時代に活躍した絵師の狩野興以の作品と言われています。
基本的に撮影禁止ですから、しっかり目に焼き付けて思い出として残しておきましょう。

○達磨図

写真 https://jpmanual.com/tojiin

等持院で見逃せないのが「達磨図」。
境内に入ると臨済宗の僧の関牧翁(せきぼくおう)が描いたとても大きな達磨図があります。
この達磨図は中国禅宗の開祖の達磨大師(だるまたいし)を描いたのだそう。

○庭園

夢窓国師が手掛けたと言われる池泉回遊式庭園。池には鯉が泳ぎ、自然豊かな情景がなんとも上品。
春には桜、夏には新緑、秋には紅葉、冬には雪景色と四季の移り変わりを特に感じられる人気のスポットです。
木々は50本以上植樹されており、様々な景色が池に映し出されるリフレクションが大変美しいですよ。

○霊光殿

歴代の足利将軍の木造が並んだ「霊光殿」。
中央には足利尊氏の念持仏だった利運地地蔵尊も祀られており、迫力がありますよ。

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施設名:等持院
住所:京都府京都市北区等持院北町63
アクセス:京福電鉄北野線「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅」より徒歩約5分程度

HP:https://toujiin.jp/

■新熊野神社(いまくまのじんじゃ)

写真 http://imakumanojinja.or.jp/index.html

京都市東山区にある「新熊野神社」。
ここは後白河法皇により建てられた神社で、境内では御神鳥とされる八咫烏のモチーフや樹齢約900年にもなる見事な大木など見どころがいくつもあります。

■新熊野神社とは

新熊野神社は歴史ある寺社が建ち並ぶ、東山の麓を走る東大路通沿いに佇む神社です。
後白河法皇は熊野詣を生きている間に34回も参拝しており、都から離れた熊野に行かなくても詣でることができるようにと紀州から土砂と材木を運ばせて建てられたのが「新熊野神社」です。
後白河法皇は新熊野神社以外にも三十三間堂などを創建しており、新熊野神社は平清盛も造営にあたったと言われています。

■新熊野神社の由来

京都市東山区の新熊野神社は、熊野神社と熊野若王子神社を併せて「京都三熊野社」と呼ばれています。
「新熊野」と書いて「いまくまの」と呼ぶのは紀州の熊野を古いもの(=ふるい)、京都の熊野を新しい(=いま)と呼んだことから「新熊野」と呼ばれるようになりました。

■新熊野神社の歴史やご利益

○新熊野神社の歴史

新熊野神社は1160(永暦元)年に、当時34歳であった後白河法皇が平清盛に命じて京都に建てました。
後白河法皇の住まいとしたのが、いまの東山区にある法住寺周辺です。
その鎮守社として新熊野神社、鎮護寺として三十三間堂が建てられました。
それにより、後白河法皇と平清盛のゆかりの地として有名です。
新熊野神社には、後白河法皇がお手植えしたと伝えられる大きなクスノキがあります。

○新熊野神社のご利益

新熊野神社は「健康長寿」「病魔退散」「技芸上達」のご利益があると言われています。
また平安時代より安産の神様としても有名になっており、願い事をしながら木を擦ると様々な願いが成就すると言われています。

■新熊野神社の見どころや特徴

○大きなクスノキ

写真 http://imakumanojinja.or.jp/yougou.html

新熊野神社の境内東部には大きなクスノキがあります。
これは東大路通からも見ることができ、新熊野神社が建てられたときに紀州熊野から運ばれ、後白河法皇の手植えだと言われています。
樹齢は約900年になり、神々しい雰囲気となっています。

○シーズンごとに季節を感じられる景色

新熊野神社では、春は桜、秋は紅葉と美しい風景が広がります。
京都で風情ある町並みや雰囲気を感じたければ、新熊野神社を含めた東山区エリアの散策がオススメです。

○能楽発祥

能楽の祖である観阿弥と世阿弥父子は、新熊野神事能楽を披露し足利義満を感動させたと言われており、そのことから新熊野神社は能楽の発祥の地と言われています。
境内には「能」と書かれた記念碑もありますから、是非ご覧ください。

○御神木の梛(なぎ)の木

新熊野神社は御神木である梛が本殿の左右にあります。
梛は災いを払うと言われており、また葉っぱが切れにくいことから縁結びなどにも有名です。

○御神鳥の八咫烏(やたがらす)

日本神話に登場する八咫烏。八咫烏は勝利を導くカラスと言われており、球技愛好家も訪れます。

■新熊野神社の口コミ

・京阪東福寺より徒歩10分位で行けました。東福寺での下車は東福寺や泉涌寺だけのお参りで終わりがちなのですが、ここの新熊野神社は寄るべきです。
・新熊野神社は大変厳かで心落ち着く神社です。三十三間堂や法住寺から徒歩10分弱でオススメ。
・後白河法皇の伝説があり、お手植えの大きなクスノキが見事でした。
・樹齢900年を超える御神木は想像以上のスケールですごかったです。
・鬱蒼とした大木の姿はまさに神々しいようなオーラが漂っています。神社巡りでまた来たいです。
・熊野の名の通り、ヤタガラスが守護神です。御朱印は『カラス文字』で素敵な思い出になりました。
・紀州の熊野神社ら古い(昔)、そして京都が新しい(今)ということで新熊野神社と呼ばれるようになったそうです。感動しました。
・京都16社巡りで行ってきました。幻想的な雰囲気でした。
・クスノキが大迫力でした。いまもどんどん大きくなっているようです。
・病魔退散やお腹の神様と言われており、様々なご利益があるといわれているそうで、参拝しました。素敵でした。

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施設名:新熊野神社
住所:京都府京都市東山区今熊野椥ノ森町42
アクセス:市バス208系統「今熊野」下車より徒歩3分程度

HP:http://imakumanojinja.or.jp/index.html

■御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)

写真 http://www.syo-kazari.net/sosyoku/kentiku/gokou/gokou1.html

京都市伏見区にある「御香宮神社」。
神巧(じんぐう)皇后、仲哀(ちゅうあい)天皇、応神天皇などを御祭神としています。

名水百選に選ばれた御香水や重要文化財である表門など見どころが多くあり、伏見周辺で長く親しまれた場所です。

拝殿や国の重要文化財にも指定されている本殿の美しい彫刻が観光客に人気で、また地元では名水百選にも選ばれている「御香水」が有名です。

創建年は不詳なのですが御香水は徳川頼宣や頼房、義直の各公が産湯として使っていたと言われています。

■御香宮神社の歴史

御香宮神社はもともと御諸神社と呼ばれていたそうですが、いつ頃に建てられたかは分かっていません。

862年に御香宮神社の境内から水が湧き、水を飲んだら「病が治癒する」と聞いた清和天皇が御香宮と名付けました。
この水は名水百選に選ばれ、現在でも多くの参拝客が水を求めてやって来ます。

そして豊臣秀吉が伏見城築城を行うときに城の鬼門の守りとして場内へ遷しましたが、徳川家康が1605年に元の場所へと戻し造営されていきました。

1868年1月27日に「鳥羽・伏見の戦い」が起こり、伏見一帯は激しい戦火に巻き込まれ、町家などは大きな被害を受けました。

御香宮神社は伏見奉行所よりも高い位置にあったことから幸い戦禍は免れたものの、境内には焼けて変色してしまった手水鉢などが残っており、現在もその状態を見ることができます。

■御香宮神社の見どころ

○大鳥居

写真 https://4travel.jp/travelogue/11142766

道路に大きく構える大鳥居。
堂々とそびえ立ち、車もそこを通り抜けていきます。伏見城跡へと続く、大手筋通りにありますのでその姿を見てみてくださいね。

○表門

徳川頼房によって寄進された門。境内に入るときに、くぐることができます。

○拝殿

豪華な彫刻が有名な拝殿。青色系の装飾で、神社では珍しいカラーでしょう。

○御香水

写真 https://water-pub.env.go.jp/water-pub/mizu-site/meisui/data/index.asp?info=54

名水百選にも選ばれている湧き水。平安時代に湧き出した水で、飲んだ人は病気が治ったと言い伝えられています。
伏見に住んでいる地元の方はその水をボトルに入れて持ち帰っているそうです。

○絵馬堂

絵馬を掲げる場所なのですが、算額という日本独自の数式が書かれた絵馬もあるのが見どころ。

○能舞台

御香宮神能(ごこうのみやしんのう)が行われる舞台。600年以上続く御香宮神能は、毎年秋ごろに開催されます。

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施設名:御香宮神社
住所:京都府京都市伏見区御香宮門前町174
アクセス:京阪電車「伏見桃山駅」より徒歩約5分 程度

HP:https://gokounomiya.kyoto.jp/

■智恵光院

写真 http://www.zekkeikana.com/kyoto/kamigyoku/chiekouin/chiekouin11.html

智恵光院は京都市上京区にある寺院で、智恵光院通の由来となった場所でもあります。
観光などで京都を訪れる人は「智恵光院通は聞いたことあるが、寺院自体は知らない」という方も多いはず。

その理由としては、毎年8月23日の法要時、地蔵堂が開帳される時以外は立ち入ることができないから。
智恵光院は特別公開がなく、予約拝観も行っていないため、名前は知られているけれどなかなかお目にかかることができない寺院のひとつなのです。

■智恵光院とは

智恵光院通の通りの名でも親しまれる智恵光院は、浄土宗の寺院です。
建てられた当時の創設地は焼失などで何度か転地を繰り返したと言われていますが、詳しい情報は不明。
現在の本堂は焼失後の、1855年(安政2年)の再建になっています。
阿弥陀如来像は安阿弥(快慶)作と伝えられており、六臂地蔵像は小野篁作と言い伝えられているそうです。

■智恵光院の歴史

1294年(永仁2年)に五摂家の1つである鷹司家の始祖・鷹司兼平(たかつかさかねひら)が知恩院8世である如空国師(にょくうこくし)を開基に自分の菩提寺にするため、法勝寺北に建てたのが始まりです。
その当時には岡崎に寺地があったと言われますが詳しい経緯や時期は不明で、現在の場所へ移されてからも1636年に消失しました。
そして1855年に再建され、現在も浄土宗の寺院として歴史が続いています。
また智恵光院は、六地蔵以外の48寺の地蔵尊を選んだ「洛陽四十八願所地蔵巡り」の1つにも数えられます。

■智恵光院の見どころや魅力

○六地蔵巡り

8月22日、8月23日には京都で六地蔵めぐりが行われます。
六地蔵めぐりは
・大善寺(伏見六地蔵)
・浄善寺(鳥羽地蔵)
・地蔵寺(桂地蔵)
・源光寺(常磐地蔵)
・上善寺(鞍馬口地蔵)
・徳林庵(山科地蔵)
が挙げられます。
六地蔵めぐりでは京都のお地蔵さんを巡って無病息災や家内安全を祈るもの。
ですがいずれの寺院も距離が離れており、すべての寺院を回るのは簡単ではありません。
そんなときに人気なのが智恵光院の六臂地蔵尊。
こちらに参拝すると、全てのお地蔵さんにお参りしたのと同じ功徳があると言われています。
訪れる日にちが合えば、参拝してみたいですね。

○六臂地蔵像

智恵光院の地蔵堂には、小野篁(おののたかむら)が作ったと言われる六臂地蔵像があります。
小野篁と言えば、六道珍皇寺であの世とこの世を行き来したと言われる不思議な人物です。
他にも小堂には弁財天を祀っているところもあります。

○獅子頭守護石

写真  http://www.zekkeikana.com/kyoto/kamigyoku/chiekouin/chiekouin11.html

本堂の前に鎮座する獅子頭守護石はその名の通り、まるで獅子が左上を見ているかのように見える不思議な石です。

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施設名:智恵光院
住所:京都府京都市上京区智恵光院通一条上る智恵光院前之町601
アクセス:京都市営地下鉄烏丸線「今出川駅」下車より徒歩20分程度

■まとめ

今回は京都市内でもとても有名な観光寺院ではないけれど、歴史の教科書に必ず出てくるような人物や出来事にゆかりの深い場所を中心にご紹介していきました。
どのスポットも見応えのあるところばかりで、じっくりと巡るのにピッタリです。
特別な日時しか拝観出来ない場所もありますので、おでかけしたいと思ったら、事前に公式ホームページなどをチェックしてみてくださいね。